2010年代を振り返る

Twitterを始めたのが2009年6月、東京との接点を持つようになった2010年からで、その頃からインターネットで遊び、性格が際立ち、就職してから自立し金を得て、自分の人生を生きられるようになった気がする。なかなか振り返ると興味深い10+年だったので振り返ってみる。まぁ成人が10年過ごせばこれくらいの激動具合になるのかもしれないけど、ギャップイヤーが多く27歳で初めて会社員になった自分の人生は珍しいパターンではあるんじゃないかな。

2009年 23歳 京大建築 B4

Twitterに出会ってつながりが広がる1年。

6月にTwitterを始める。アート系の活動に参加したり就職活動もその辺を受けたり。Twitterでは関西Twitterクラスタや建築クラスタ、アート系の人と交流する。卒業のための単位はギリギリだけど、学芸員に必要な単位も追加で取ったりした。研究室のプロジェクトで展覧会の企画をした。その絡みで卒論を書く。コンテンツとしては東方が好きだった。

2010年 24歳 京都工繊大 研究生

院試浪人、東京との接点ができはじめた1年。

卒業後の進路が決まっておらず京都工芸繊維大学の研究生になる(格安の学費を払って大学に所属する制度)。寮からシェアハウスに引越し。東京によく遊びに行き、ギークハウスと接点を持ちインターネットの濃い人達とつながりを持つ。この時期に今でもよく遊ぶ友達と出会った。進学先を探すために先生にアポを取っていた(今思うと無鉄砲で恥ずかしいが行動力は評価する)。二級建築士の試験を受ける(落ちた)。進学したい研究室が決まり、実質1か月くらい本気で勉強した(よく行ってたのは近所のカフェ、京大の図書館、私設図書館、東山三条のマクド)。無事に受かった。瀬戸内国際芸術祭のボランティアをのべ2週間ほどやった。試験が終わったのでなんか新しい勉強がしたいと思い、ギークハウスにいたお兄さん方に相談してプログラミング言語Rubyを勉強することにした。2010年の後半は所属研究室で企画していた展覧会の手伝い。カタログ編集など。

2011年 25歳 東大建築M1

楽しい大学院生な1年。

3月、進学する研究室に挨拶に行くために上京したときに震災に遭う。寮に引っ越す。大学院に進学。前期は建築に関係ない本郷の授業もいろいろ取る。ITベンチャーでバイトをする。私の誕生日の企画として知り合いを集めてお散歩会をやる。初めての海外は研究室のプロジェクトでジャカルタだった。割と普通の大学院生といった感じ。

2012年 26歳 東大建築 M2

ヤバイ就活生と研究の狭間な1年。

そろそろと就活を始める。IT業界に行きたいと思い10社くらい受けて全滅する。振り返ると完全に就活を舐めていて恥ずかしいが、当時の私にとってそういうタイミングではなかったのだろう(私は最終的に最高の選択をすることができるが、その分結果が出るのに時間がかかるのだ)。10社目がダメだったタイミングで、ポテンシャル面で評価される面接を突破することが不可能だと思い、実績を作ろうと、誕生日を記念してWebサイトを企画し自分で制作することにした。誕生日によくFacebookでおめでとうコメントもらうけど、そんなお誕生日コメントやプレゼントのかわりに私への推薦文をよこしてもらうという企画はなかなかキレてるんじゃないかな。身近な人を楽しませようと思って制作したサイトだが予想以上のバズり方をしてびっくりした。今思えば基本的にインターネットに親和性がある人を中心に面白がってもらえて、2012年でよかったような気がする。今の時代だと悪いバズり方して辛い思いをしそう。トータルでいうといい経験でした。

その後、実は就活に苦戦してて大学のカウンセラーに相談したりしてた(内定をいただいたところは条件面が合わず、あと某外資系のエバンジェリスト職が新卒向けになぜか募集してて受けたけどダメで「やりたいことが見つかったけど残念」などとブログに書いたら知らない偉い人にTwitterで色々言われたりした)。

「仕事文脈」に寄稿させてもらったり文フリの手伝いをしたりとミニコミ・同人文化のつながりができたのもこの頃。

夏には名大で学会発表した。探したらブログが残ってたので貼ってみる。

そして修論の進捗ダメです。京都の知り合い宅にお世話になり論文書くために滞在してたりしてた。

2013年 27歳 フリーランス兼就職浪人

先の見えない就職浪人な1年。

先輩の助けもあってギリギリ修論を出す。以降の人生、修論よりも高質なアウトプットはたくさんできているが、人生において修論が一番追い詰められてた経験だと思う。辛い時があれば修論よりマシだと自分に言い聞かせることが多々。スースーした香りのするマスクを気付けとして使ったりと初めて煙草を吸う人の気持ちがわかるなど。卒業(修了)する。寮の退去作業が追いつかず修了式に行けなかった(その後の建築学専攻の集まりには行った)。友達とのシェアハウスに引っ越しする。 最低限生活できる程度の仕事がもらえそうなので、個人事業主として開業し、就職浪人として既卒就活に切り替える。

何個か受けたが、第一志望の企業の最終面接で落ちて、新卒としての就活を諦め、一応仕事をしてる実績もあるので転職活動ができないかと思い転職エージェントに相談する。いろいろ受けたが現職の競合に当たる企業を紹介され、2次面接まで行ってかなり好感触だったが経験者を優遇ということで落ちてしまった。それから専門系の編集者に絞って就活したところ途端に順調に進むようになり、リクナビNextに載っていた現職の募集を見つけて応募。他、オウンドメディアの編集、少しニッチ目な新聞社、研究所の広報などの選考が進んでいた。一時は派遣からの正社員を狙おうかとも思っていたくらいだった。 フリーランス時代の仕事としては、広告クリエイティブ制作の手伝い、小さなWebサービスの広報、ちょっとしたライティング、Webサイト作ったりいろいろ。プライベートでは夏に沖縄と台北、秋にシェアハウスのみんなで京都に行く。沖縄と台北は就職活動で追い詰められていた時期だけど楽しかった。沖縄は死にたいと思ったらまずは暮らしたい街に、台北は(死にたいとかじゃないけど)「台北で占いしてもらうまで生きよう」と思っていた。

昔からカービィは好きだけどグッズを買ったり昔のゲームを集めて遊んだりしてたのはこの頃。就職できてないのに艦これに興じてるのが虚無に思えてきたので。

2014年 28歳 会社員1年目

初めてばかりで楽しい1年。

現職に無事内定。家の契約の期限でシェアハウスが解散となり、その記念としてパーティーしたりメンバーでディズニーランドに行ったりした(私にとっては初)。今のシェアハウスに引っ越す。ゴールドジムに入会。 会社員生活、最初は何でも新しくて楽しかった思い出。仕事も希望のところに無事配属された。

4月はファンキーさんに呼んでいただきペチャクチャスタイルでトークをし、6月のTechGIRLでもLTしたくさん今につながるつながりができる。 年末に初の賞与が出て、歯の矯正の相談に行く。「私はなぜ就職するのか」と自分に問うたとき「お金を得て今までやりたくてやれなかったことをやりたい」と思っていたので着実にそれを実行する。

2015年 29歳 会社員2年目

プライベートで初めてのことをたくさんやれた1年。

矯正の装置がつき始める。しゃべりにくい。 仕事では、自分にとってはかなりストレッチな案件に携わった(割と残業した)。 今はなき綱島温泉で誕生祭をした。友達がカービィのケーキを手配してくれ、たくさんの人が来てくれた。

糖質制限で10kgくらい痩せる(その後リバウンドした)。

Maker Faireにあわせて新センに行く。非常に刺激的な経験だった。英語の重要性を感じ、年末にセブ島語学留学に行くことに決め、事前学習の教材を教えてもらった。 YAPCに行ったことないのにボランティアスタッフやる。楽しかった。 11月にははじめての海外カンファレンス取材に行った。ポートランドいい街だった。今行けばもっとその楽しさが分かるだろう。 TOEICが200点上がって820点に。

セブ島留学に行く。トランジットで韓国も。年末中に卒業し(あとは補講)マッサージが激安なので毎日のように行きまくってたからか?年末に体調を崩した。

2016年 30歳 会社員3年目

燃え尽き症候群からの模索な1年。

セブ島から帰ってきて、「やりたいこともやったし…」と燃え尽き症候群になってしまった。当時インタビューもされたのだけどうしじまいい肉氏の言葉から「性欲が失われた人みたいになってる」と発言して記事にも採用されたのはよくその状況を表している。社長面談でも「モチベーションが無いんです…」と相談していた。知人にも相談したところ、リーダー塾を勧められたので見学も行かず参加する。 誕生祭では貸しスナックを借りて「スナックゆうこ」という企画をやった。 ストリップを継続的に見に行くようになったのもこの頃。

あと失恋してだいぶびゃーびゃー泣いてた。恋愛関係にあった時からそうだが、あれだけ泣かされる相手(別に酷いことされた訳じゃなくて単なるすれ違いが原因と、嬉し泣きもあった)は今後もういないんじゃないかな。沖縄に一人で行って泣いてた思い出。こういう旅行に限って新たな出会いあり素敵な体験ありで最高だったんだよ……。 夏休みに、友達を訪ねパリ(1泊だけベルリン)に滞在しとても楽しかった。トランジットは香港。モンサンミッシェルムーランルージュルーブル美術館サヴォア邸、ユダヤ博物館など行きたいところにたくさん行けた。

2017年 31歳 会社員4年目

悔しいところから自分で踏ん張り、いろいろできるようになった1年。

イベントバーエデンで「スナックゆうこ」という企画をやることに決めることから始まった年。

今の自分がやってるプロジェクト(デブサミ)の、前任の方が会社を辞めるというので、自分にやらせてほしいと志願したのにやらせてもらえず、悔しく泣きながら勉強会に行った思い出。その流れでDevRelCon Tokyoのスタッフも志願する(外部カンファレンス運営経験を積んで圧倒的に自分がやるべきだと思わせるため)。自分でも勉強会を作ってみようとTech Pubというのも立ち上げる。その頃までのことは2018年にりっすんに寄稿した。

当時の悩みをリーダー塾のアネゴに相談して「視座がまだ低い」と言われたのはよく覚えているしとてもよく分かる。なし崩し的に自分に役割が回ってくるように取り回って、仕事が回るころにはやりたいように仕事をやらせてもらってた。 2017年前半のスケジュールはやばかった。登壇もイベント企画もいっぱいした。スナックゆうこ京都店も開催した。

仕事ではデブサミ夏、関西、デブサミ2018を企画・運営した。

年末にはゴールドジムを休会しファストジムに入った。

2018年 32歳 会社員5年目

メンテナンスモード、とは言え外見の大きな換装ができた1年。

この年は噛み合わせを治す手術があるのでメンテナンスモードだと割り切っていた。 ストレッチ専門店に行き筋肉に関心を持ち、ジムもティップネスに変えた。スタジオレッスンに行きまくりかなり身体的なところに関心を持つようになった。 4月、副編集長(ポジションとしては係長レベル)に昇進。5月に9日間の入院、全身麻酔の手術。術後はしんどかったけど見た目が好きな方向性になり、回復の過程はなかなか興味深い体験だった。その後、概ね元の生活ができるまで1か月、身体的に回復するまで3か月、気力的なところが回復するまで約半年かかった。手術が終わったら台北で変身写真を撮りたいと思い、友人がMaker Faire Taipeiに出るのもあって友達と台北旅行。秋ごろ「絶対に5kgやせる」と決めてがんばる。

アウトプットの活動も2018年末頃から行い、長尺の登壇などもチャレンジした。デブスト初開催。

最終的に1年間で10kg減量することができた。

2019年 33歳 会社員6年目

精神世界が大きく向上した1年。

会社の仕事的には関西で新しいイベントが追加されたりイベントの規模が大きくなったくらいで特に何か大きい変化があるわけではないが、自分の精神性は大変向上した。 わかりやすいのでいうと各種同人イベントへの参加。技術書典6、7、文学フリマコミケ97に個人サークルで出展し、それぞれ新刊を出した。

執筆のためサウナに行くことが増えた。1年で登壇は20回した。LTのほか、長尺の登壇、依頼されてしゃべる登壇が増えてきて、DevRel/JapanではCfPに通過して仕事のことを話した。年始にiPadを買ってグラレコや絵日記もやった(最近やれてないけど…)。

同人誌出せたのもiPadで絵を描くようになったおかげだ。JAWS DAYSにひさびさに参加して久々&新規問わずたくさんのお友達ができ、その後勉強会やソーシャルでちょくちょく交流するという。自分はテクノロジー的には割と中立的な立場にいるつもりなんだけどJAWS DAYSはなんかすごかった。それ以外にもたくさんカンファレンスは参加したと思う。それで #キャバレーゆうこ ですよ…愛本店が借りられるという情報を得て「4時間6万円(当時)」なら「なんかあっても責任取れる!」と速攻で問い合わせをして、誕生祭の会場として押さえ、コンセプトも「キャバレー」と決まると動き出すのは早かった。実質2か月ちょいで企画、集客をして70人以上が来場した。最高のイベントだった。 6月から3か月連続でAWSGCP、Azureの資格を取った。大変ではあったが自分はやはり試験が強いのだと思うなど。他の人から見てかなりインパクトあるようだった。 6月にプレート除去手術、そんなに体の負担もなく、しかし大人しくしてるしかない状況はかなり内省できた。 自己肯定感というキーワードが自分のアップデートに役に立つと思っていろいろ本を読んだ。恋愛や美容に課題意識を持ち、習慣化や直感の正体を突き止めたいと、これまた本を読んだ。自分に自信を持ち、自分の見た目が好きになり、自分の直感を信じられるようになった。

「みんチャレ」というアプリでプランクを継続してもうすぐ100日目。プランクをするだけで痩せるかは人によるが、プランクを意識することで痩せやすいマインドを維持できてる気がする。

ということで10年間を振り返ってみました。自分は年齢的には相応だが会社員6年目にしては色々成せてる思っており、それは非線型なこれまでの自分の生き方がいい影響を与えてるんじゃないかなと思っている。学部卒即入社で会社員経験長い方がそりゃ練度はあるやろけど、今の仕事、2010年の東京インターネット界隈との接点や大学院生の時にやってたことが大変生きている気がしています。

それで2019年、一見順調に見えるがやややり切った感があり、慎重にならないとまた燃え尽き症候群に落ち入りそうだと懸念している。昨年のように同人イベントの締め切りに追われる毎日は楽しいのだけど、昨年からどれだけ進歩があるかというと分からない。大事なことを見ないようにするためにアウトプットに走ってる気もして、本当に大事な、やるべきことや先の見えないことに勇気を持って立ち向かい、自分のステージを上げていきたいなと思う今日この頃です。具体的には今年こそ最高のパートナーができるといいですね…まぁ私は時間がかかっても最高の選択ができる人なので、悲観してませんよ。