kondoyukoのカルチュラル・ハッカーズ

踊る編集者が日々のとりとめもないことについて思索を広げる空間

アートがビジネスに効く理由

私のブログで、たまに「某ボツ原稿です」と前置きして、通常の適当な日記よりもややガッツリめに投稿している文章がある。これは、今年の2月より受講している天狼院書店ライティング・ゼミの課題投稿のボツ原稿だ。選考されれば天狼院書店のサイトに掲載されるが、今のところボツの打率のほうが高い。ボツになったらなったでこのnoteにアップするからいいか、という気軽な気持ちになることで、なんとか書くモチベーションを維持しようとしている。

ライティング・ゼミはこちら。開講月がいろいろなので、以下から都合のいいものを探すといいだろう。

天狼院書店TENRO-INtenro-in.com

さて、毎週2000字の課題投稿があり、今日は全16本中の7本目の課題を出し終えたところだ。ちなみに来週の締切は2本ある。どうしよう。

今週出した課題のタイトルは「アートが断捨離に効く理由」。

近藤麻理恵さんの『人生がときめく片付けの魔法』で紹介されている「ときめき」を基準にした断捨離メソッドは、私はアートを購入することで養うことができた、という趣旨の文章だが、アートを買うことによって他に鍛えられた能力もあることに気づいた。

私は、自分が勘のいい人間なのではないかと思っている。なにかの思いつきは上から降ってくるように与えられてくるし、自分にピッタリくるものを判別することができる。そのようにして得られたインサイトほど筋がいいように感じる。そういう勘のよさを鍛えていきたいし、私の勘のよさはどうして備わっていったのかも気になっている。

その一つの仮説として「アートを購入する」という、一見役に立たない行為が、勘を養うのに大きく寄与しているのではないかと考えている。

投資目的やおもてなし空間に置くアートは別として、人が自分の楽しみのために購入するアートは、究極的には生活の役に立たない。それを、どの作品が自分に合い、自分の部屋にマッチし、金額的にもリーズナブル(合理にかなっているか)かを見極めながら購入する行為は、勇気を出して金を出すだけあって真剣で「ピンとくる」感覚を養いやすいのではないかと思う。

私の場合、勘がいいと、自分の人生に役に立つのはもちろん、ビジネスに役に立って重宝する。とある企画の方向性だったり、進め方だったり、なんか違和感あるものはどうしてもうまくいかないし、これが「筋が見える」ようになれば絶対にうまくいく。そういうセンスを養えたのも、アートを購入してきたからではないか。

やはりこれは「購入する/購入したいという気持ちで見る」というのが、究極の自分ごとになるからであり、単にアートを美術館で見るだけでは、私はここまでこれなかったように思う(もちろん、単に鑑賞するアートからもインスピレーションは浮かぶだろう)。

アートは生活に不要、余裕がある人の道楽と言って切り捨てるのはもったいない。アートはビジネスにも効くのである。