マイブームは女体

今日、なぜだか急に「女体(ヌード)に興味がある」と自覚した。

今までの私のヌードへの印象といえば、エロ目的で自分のためではないように感じていたか、もしくはアート的な表現だったとしても、それはなんだか手を抜いているように感じてしまい、つまらなく思っていた。なんとなく使い古された表現であるという印象があったのかもしれない。

それが唐突に、女体にまつわることを勉強してみたいと思ったのである。

 私の女体への関心は、具体的には以下の通りだ。

  • 美しい女体を見たい
  • 自分がその美しい女体に近づきたい
  • 女体を通じた表現を見たい
  • (女体に限らず)身体の仕組みを知りたい
  • (余力があれば)女体に関する表現をやってみたい(絵や写真など)

過去にも、筋トレのモチベーションを高めるために「かっこいい女性トレーナーの写真をとにかく見たい」とトレーニング雑誌を買った経験はあった。

今日、突如として女体に興味を持ったのは、鑑賞者として、女体持ちの当事者として、表現者として、女体って面白いなあと思ったのである。

鑑賞者としての関心の芽生えは、具体的にはストリップがきっかけだ。私は3年くらい、均すと月1回くらいのペースで細々と劇場に行っているファンである。たぶん最初は、サブカル的な観点からアングラスポットに行ってみたいというモチベーションから始まって、表現の美しさだったり、独創性だったりに惹かれて、そう頻度は多くないものの劇場に脚を運び続けている。以前は、表現の方に目がいき、その体がどうであるかは「美しい」くらいの画一的な語彙しかなかったのだけど、先日劇場に行ったら、「この身体は美しい」「この身体を目指したい」といった、いや、語彙が増えているわけではないのだけど、とにかく女性の身体って面白いんだなあと思いながら見ていた。

尊敬するとある踊り子さんは「自分の身体を見せてもセックスに至らなくていいのでこの仕事が本当に好き」という感じのことをおっしゃっていて、確かに、人間それぞれ得意なこと、やりたいことがあって、この踊り子さんの場合は自分の身体を使った表現であること、そして自分の身体は自分のものであるということを、そのお話によって改めて実感できたのだ。確かに、女体がセックスのためだけのものであったら、我々女性は女体を享受できないのである。

当事者としての関心は、減量が成功したことによる自信から来たものだ。現在、ボディメイクに取り組んでいて、ようやく自分が憧れる女体に、頑張ったら手が届きそうというところまで来ることができた。私はどうやら全く手が届きそうにないものには関心が持てないようで、今まで興味を示さなかった女体に、自分の目指したい身体の造形と、そこに至るまでのアプローチ手段としての身体の仕組みの勉強に、強い興味関心を持った。また、自分をもっと、見た目よく見せたいと思うようになった(ひとまず思うだけ)。

表現者としての関心は、いまiPadでお絵かきをすることにはまっていること、今年はいいカメラを買いたいと思っていたこと(基本的には仕事のためだが)もあって、勉強したらいくらでも表現に反映できるなと思ったのだ。

そういえばストリップのポラロイド写真コーナーなんて、私にポーズ指定能力や撮影技術(コンデジのオートモードが基本なので逆に割り切れる)があれば、自分が求める表現をやり放題ではないか。たぶんカメラマンとしてポートレートを撮る、ショーを撮るのは、ちょっと私にはハードルが高いのだけど、身近な、トライができる機会があることに気づいたのだ。

そして、書籍を2冊ほど購入した。ヌードを特集した雑誌と、美術解剖学に関する本。

芸術新潮 2019年 01 月号

芸術新潮 2019年 01 月号

 
ソッカの美術解剖学ノート

ソッカの美術解剖学ノート

 

この感じ、1年前にも同様な経験がある。ストレッチ専門店やスポーツジムに通うようになってから、筋肉図鑑と解剖生理学の書籍を読み、糖質制限などの食事療法の本を読み、バレエや筋トレの本を読んだ。とにかく体の内部の仕組みや、どのように使うと効果的なのかということをひたすら勉強した。その身体について学んだことが、健康にも、仕事のパフォーマンスアップにも、歌やダンスにもつながっていて、有機的に関連していることに興奮を覚えた。

昨年が、身体の内部に関心を持ったとすれば、今回は身体の外側だ。女体への関心は、ストリップ鑑賞やボディメイク、お絵かきといった自分がいま興味を持って取り組んでいること全てに関係してくることがこれまたわくわくするし、芸術写真や美術解剖学、ポージング、撮影技法などの新しい眼差し、技術習得にも割と意欲的だ。

このように、私の関心はアメーバのようにあまりに広く浅く拡がっていくので、私自身にもどうにもコントロールできないのである。