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kondoyukoのカルチュラル・ハッカーズ

カルチャーをハックするような文章が書きたいkondoyukoのブログ。

Perfumeに於ける実演の意味とは

先日、 日本武道館にPerfume「JPN」ツアー追加公演に行ってきた。

JPNツアーの追加公演が発表された1月くらいから、ずっと「行きたい!」と思い、ファンクラブには入らないまでも、チケットぴあの先行予約やアミュモバ先行、一般発売にチャレンジしてもダメで、おけぴ(チケット定価譲渡サイト)をマメにチェックする日々だったが、ラッキーなことに、公演一週間前にチケットぴあのキャンセル分販売でスムーズにチケットを確保し、2階席の最前列というかなり良席で見てきた。

こうして長きに渡るチケットGETまでの道のりがあったため、今まで「普通に好き」くらいだったPerfumeへの熱が「ファン」にまで昇華したのであった。

 

そんなこんなで楽しみにしていたライブだが、私にとって初めてのPerfumeライブであり、初めての武道館であり、初めてのアイドル?ライブであったため、興味を惹かれる事項がいくつかあった。

ここでは、(まだ追加公演が終わっていないということで)ネタバレにならない程度に、私がPerfumeのライブに行き興味深かったことについて書いてみる。

 

1.実演での「音」

私が過去に見てきたライブは、ホールやアリーナ級のデカイ箱のところだと東京事変椎名林檎くらいしか経験がない。その他は、プロ・アマチュア問わず、ロックや同人バンドをライブハウスで聞いたり、クラシックをコンサートホールで聴いたりはあった。そんな私が、今回Perfumeライブで(良くも悪くも)違和感として感じたのが、「楽器が入っていない」と「意外と歌っている」ということだ。

「楽器」に関して。私が過去に見たライブはほとんど「楽器」もライブにおける重要な位置を占め、私が見た椎名林檎のデビュー10周年ソロライブでは、バックバンドにオーケストラを起用するなど音に対するこだわりを感じた。今回のPerfumeのライブでは、素人耳ではとくにアレンジが加えられているように思えず、「ライブでしか聞けない音」の提供はあまり意識していないように思えた。また、舞台を作っているのが、実質、生身の少女である(+演出)という儚さを感じた。

また「意外と歌っている」点に関して、事前勉強としてWikipediaPerfumeの項目を見ていたところ、こんな記述を見つけた。

***

中田はライブでの再現可能性を一切考慮せずにヴォーカル処理を行うため、実際に行われるPerfumeライブにおいても、しばしばリップシンク(俗に言う口パク)が用いられ、このような中田の処理を保持した状態でヴォーカルが披露される

***

とあり、すべて口パクではないかと思っていたのだが、ライブを見て私が感じたのは「意外と歌っている」ということ。(生声が元の音響のボーカルと重なってうなりが少し生じている点、息遣いが聞こえる点において判断した)しかし、彼女らの歌は、「音を最高の品質で届ける」ところだけを考えればあまり効果を発していないように思えた。Perfumeの曲を最高品質で聞く環境は、おそらく無響室や(参考:《for maria anechoic room version》2010年 渋谷慶一郎+evala)クラブでかかっている方がよく聞こえるのかもしれない。だけど、Perfumeのライブは楽しく、とても満足できるものになった。そこで、彼女らの実演はファンサービス以上の意味があるのではと考えたのだ。

 

2.アイドルらしさ

さらにライブを見て感じたのは、思った以上に彼女らが「アイドルである」ということ。MCが長いことはインターネットでも話題になっており、実際に広島弁で繰り出される会話の親しみやすさや、ファンとの交流、「3人合わせて『Perfume』です!よろしくお願いします!」という自己紹介や、終演時に深々と頭を垂れるお辞儀など、随所にアイドルらしさを感じた。音楽性やPV、アートディレクションから作られるイメージをいい意味で裏切り、ライブに来て初めて「ああ、Perfumeはアイドルなんだ」思い知らされた。

 

3.計算された世界への愛の挿入

1では、Perfumeのライブは「音が最高品質の状態」で提供されているわけではないのではという問題提起、2では(おそらくライブでしか見れない)Perfumeのアイドルらしさについて述べた。以上のことをまとめると、Perfumeのライブは

「計算された世界に人間的なノイズをうまく挿入することで、ライブでしか味わえないPerfumeの魅力を演出している」

といえるのではないか。

音源に生声を重ねることによる音質の低下を指摘したが、それを上回る声の可愛らしさを感じることができた。計算された音に生身の人間であるということのノイズが挿入することによる意外さが出ているのではないかと思う。

また、ライブ中盤に、Perfumeの着替えの時間に上映された映像作品。暴力的なほどの音圧の重低音を聞かせた中田ヤスタカの曲とともに流れた映像は、幾何学的映像からはじまり、Perfume本人とのプロジェクションマッピング演出へと移行し、バーチャルとリアルの融合を感じた。

最初の観客との交流は後半になるに従ってだんだんマスになり(P.T.Aのコーナーでの会場全体のダンスなど)、最後は会場全体が盛り上がれる曲、踊れる曲をもって一体感で終わる。最後の方の曲になると、Perfume本人も、元々の振付より客席が踊れるようにサポートに回る(掛け声の補助など)

これは、最初に計算され尽くしたPerfumeの世界観の提示、次第にその世界観と観客との交差、世界観の崩壊と際立つアイドル性により、結果、ライブでしか見れないPerfumeの魅力を演出しているのではないか、と感じるに至った。

 

最後に、Perfumeの「コンピューター・シティ」という歌の歌詞で締めたいと思います。

「完璧な計算で造られた楽園でひとつだけ うそじゃない 愛してる」

最高に計算され、そして愛のある舞台でありました。

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