「糸井さん、僕を『面接』してください。」を読んで

今わたしは就職活動をしている。

12月末くらいからぼちぼちネット上で動き出し、1月末に初めて合同説明会と就活イベントに参加したのを皮切りに、ぼちぼち説明会に参加したり、エントリーシートを送付したりした。

いろんな企業を見ていると「働きたいところがたくさんあってわくわく!」と思う反面、続々とお祈りメール(断りのメール)をもらった。また「研究はどうでもいいや」と思う気持ちになってきた。

3月末から4月頭にかけては、学会に出す原稿を執筆した。その時は、「なんて面白い研究をしてるんだろう。絶対成功させたい」という思いを取り戻していた。

 

4月に入ってからは、結構行きたかった大企業に断られたり、研究室のプロジェクトが忙しかったりなどで就活もストップしつつ、生き残っている一社の最終面接が5月下旬なのと、それまでに幾つかエントリーをしようと思っている。

 

先程数えてみたところ、今までエントリーした企業はちょうど10社。

そのうち面接まで進めたのは7社だった。

 

そんな中、Facebookで以下の記事が目に入ってきた。「森見登美彦の小説に出てくるような、『青春をこじらせた』学生が『就活』をするのは大変なのですよ。」というコメントとともに。

 

ほぼ日刊イトイ新聞 - 糸井さん、僕を『面接』してください。

 

上記のコメントから容易に類推できたが、この記事の主人公も京大生だった。

この記事を見て響くところが2点あった。

一つは、彼のようなハズレのものを受け入れるのは結局Web企業なのかということ。

もう一つは、就職活動の採用スキームに自分が適合してないという思いは私にもあって、彼が自信を持っている「コーヒーのこだわり」は、私でいうところの「研究」で、糸井さんが就活生の彼に「コーヒー屋になれば」といったのを私に当てはめると「そんなに研究がしたいのなら研究者になれば」ということだ。しかし私も「研究者になるのはちょっとなあ」という思いがある。

 

就職活動で「がんばったこと」や「困難を乗り越えた経験」を問われても、ネタになるようなトピックは多い(サークル、寮、ボランティア、バイト、受験、研究)にもかかわらず、どうしてもうまく言えず、面接のたびに気まぐれで違うトピックを答えていた。

 

某企業の面談では、「一番頑張った経験」に、現在進行形ではあるが「研究」と答え、ひとしきりやり取りをしたあと意思疎通が測れなかったので、次のトピックとして「大学院の受験勉強」を答え、それも企業側の求めている回答ではなかったため「アルバイト」について答えた。

その企業としては、「現状では困難な目標」と「目標とのギャップを埋めるためにした努力」を明確にして答えて欲しかったらしい。私としては、「何かを頑張って乗り越える」というよりは「目の前のことを誠実にやっていたらいつの間にかできるようになっていた」という感じで、「おとなになったから成長した」と思うことは多い。

もちろんその性質の中に「困難があったらやりたくなくなる」など、私の人間性に関する問題も色々と含有されているはずだから、なんともいえないけど。

 

友人からも「ゆうこちゃんはそのうち決まる」と言われたり、就活相談をしても「あなたは大丈夫でしょう」と言われ、私自身もかなり自信はあったと思う。けれどなかなか決まらないのは、このような企業の求めている枠組みと私がズレているからだろう。(それ以外にもちょっと問題はあると思うのだけど、書いたら本気で自分ダメ人間だと思ってしまって凹むので、ここでは割愛します…)

そういう私を欲しがる企業あると思ってたんだけど考えが甘かったですね。まあまわりの素敵な方々が就職決まったのも遅かったって聞くし、就活生というコンテンツ力の高さを生かして引き続きがんばろうと思います。